2011年3月 1日 (火)

福岡黙想の芸術講座

福岡黙想の芸術講座 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人か ら集団社会宇宙と次第に進化する。この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではない か。職業芸術家は一度亡びねばならぬ。誰人もみな芸術家たる感受をなせ。個性の優 れる方面に於て各々止むなき表現をなせ、然もめいめいそのときどきの芸術家である。 創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される。おお朋だちよ...

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那須トラピスチヌ瞑想芸術講座

那須トラピスチヌ瞑想芸術講座 テーマ: 芸術表現に於けるキリスト教神秘思想と禅 「自己の本質に出会う」のが宗教や芸術の目的である。そこで人は自己の最高の純粋性に出会い、真の自己を知るのである。日常性を超えた自己、想念の純化によつて到達できる精神の力である。そこで人は自らのエッセンシャルネーチャーに出会うのである。 那須トラピスチヌ聖母大修道院(厳律シトー会観想修道院)では約50名のシスター方が終日...

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2009年11月16日 (月)

伊万里トラピスト瞑想芸術講座

テーマ 芸術表現に於けるキリスト教神秘思想と禅 「自己の本質に出会う」のが宗教や芸術の目的である。そこで人は自己の最高の純粋性に出会い自己を知るのである。日常性を超えた自己、想念の純化によつて到達できる精神の力である。そこで人は自らのエッセンシャルネーチャーに出会うのである。 今回は伊万里トラピスト修道院の特別のお許しを得て少人数の芸術講座を開きます。講座の目的は少しの間社会生活から離れて自分と向...

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2009年11月12日 (木)

人生の歩み

私は1980年代以降、数十年に渡ってヨーロッパとの親密な繋がりを持ち、今現在に至っています。東京芸大の日本画科出身であるにもかかわらず、早くから日本独自の地方性を脱却することを欲し、あえて豊な国際性の荒波に身を置くことによって、芸術の様々な可能性を探求して来ました。その発端は、1965年、三十代のパリ留学からであり、その時期に大いなる変身を遂げました。シュールレアリズムの方法論との邂逅によって、人...

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2009年11月11日 (水)

芸術とは何でしょうか

皆さん、芸術とは何でしょうか。芸術とは室内を豪華に飾るためのものや、美術館などの展示物だけではありません。それは人間が現実の生活を超えて、より高い精神へと至る方法、あるいは究極の理想世界に近づくための一つの有効な手段なのです。元々人間という存在は、無限界からやって来ましたので、遥か彼方の高貴な世界にいつまでも憧れるのです。美しいもの、気高きものにいつかは至りたいという切実な念願が、人類の精神をここ...

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2009年10月28日 (水)

門なき門

人の波が、まるで津波のように閉ざされた時代から溢れ出し、東西の壁を超えてしまった夜、私は丁度ベルリンに居て、時代の観劇者としてそこに在った。異邦人である私が、そして傍観者でもある私が、何故あれ程感動に震えていたのだろう。それは人為ではなすすべもないエクソドスの解放の嵐を、時代の霊の働きを共感したからに他ならない。暗い夜空にこだまする群集の叫喚が大合唱となって、空飛ぶ天使の姿こそ眼には見えなかったけ...

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2009年10月10日 (土)

フラグメント(断章)(2)

キリスト教の最終目的は“神が人に来て充たす” 東洋の言葉 “入我我入”対立がない、神人になる 一度大祭司であるキリストは、人類と神の間の幕を破られた!今日、神の子は私の中にお生まれになった!ハレルヤ。キリストの言葉 私のねがいは我々が一つとなること。公の祈り、聖務日祷だけでは、個々の中の神の子の成就がはっきりつかめない。昔はこの逐託の終らん時御子イエスを示し給え!と祈った。神はその独り子を賜う程に...

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2009年10月 8日 (木)

フラグメント(断章)(1)

人は外に動き廻れば動き廻るだけ、本質を失って何か別の虚しい存在に成り果てるのだ。人は自分のエネルギーを無駄に消費してはならない。 今この肉体に生きている間に、私の本来の精神、魂の世界体験を形態化、芸術化しなければならない。我々凡ての魂は何かを生み出すエネルギーに充ちた存在なのだから。この短い生存の間に私は何物かを創造することが出来るであろうか。 私は有限性の中で無限性に同化され、芸術表現の場に於い...

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2009年8月26日 (水)

魂の置き場所のない人たちへ(2)

私は異端のキリスト者です。私の敬愛するウィリアム・ブレイクの詩集なんて、言わば黒い聖書ですよ。そこには逆説が溢れています。こういうことは、私は一般的なクリスチャンにはあまり話しません。せっかくの安定した信仰をつまづかせることになってしまいますからね。そういう人たちの前では、なるべく聖書の中から尊い話だけをします。しかし、深い闇の中で、今地獄を生きている人たちに対しては、そういう尊い話しや賛美歌なん...

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魂の置き場所のない人たちへ(1)

地獄というものがなぜできたか、皆さんは一度でも深く考えたことがありますか。それは言い換えれば、人間はなぜこんなにいつも苦しみと葛藤ばかりで生きているのかということです。この問いに大きなスケールで答えを出せば、つまりは神様の創造の業ということでしょう。神様は世界の全てをお造りになった。物質界のことも、生命も、人間の経済活動も、そして我々の心の迷いも、全て神様の御業なんだと思います。人間は誰でも、言わ...

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2009年8月20日 (木)

宇宙から風が吹く(2)

物質的環境の進歩も必要ですが、しかし、それは低次元の物質世界から高次の人間性へと至る精神の変革程には重要ではありません。古来預言者や聖者といった人類の指導者たちは、人々に精神的な覚醒を促がしてきました。「卑しき物にて播かれ、光栄あるもの甦らせられ」と、パウロも『コリント書』に記しているように、人間の可能性を無限大に設定する時、人は驚くべき自己の能力に出会うのです。 またプラトンの対話篇にはこういう...

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2009年8月19日 (水)

宇宙から風が吹く(1)

芸術家ならずとも、人は皆美しい物に出会いたい、至福の世界に到りたいという強い願望を持っています。美と出会うためならどんな苦労も厭わないで努力をします。しかし、美には簡単に出会うことも、到達することも容易ではありません。弓を引く人が渾身の力を絞っても、必ずしも目標に的中するとは限らないのと同じです。そこで人は内省し、道を探し始めるのです。やがて芸術家の道は神秘家のそれと重なってきます。私というものが...

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2009年8月17日 (月)

内面の声に忠実であれ(2)

一度思い切って裸一貫になって、自己の内面と深く対話する。瞑想をする。それが非常に重要です。この瞑想なしでは、本物の「美」というものに触れることはないと私は考えます。頭の表層意識、現実意識だけでもってアートを考えている人の作品というものは浅いのです。器用であれば、訓練を積むことである程度は巧くできるかもしれないけれども、深いもの、永遠的なものはそういう人には決して宿らないと思います。 そういう私自身...

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2009年8月16日 (日)

内面の声に忠実であれ(1)

現代の日本では、ほとんどの人が芸術に関心がないか、もしあったとしても、誰もがその価値を認める印象派などの有名な絵にしか興味を示しません。それは今を生きるアーティストにとっては、非常に大きな問題です。アーティストというものは他者のために美しい作品を描いて、多くの人を喜ばせて、しかも職業的にも成り立つというのが今までの一般的な常識でした。しかし現代においては、もはやそういう常識が全く成り立たちません。...

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2009年8月13日 (木)

あるタイ人のこと

これはあるタイ人のお話です。彼は四十歳近くになって私の前に現れました。その経緯は、その時私が住んでいた施設でペンキ屋さんを募集していて、それを見てやって来たのです。彼はペンキ職人で、催し物なんかの看板やポスターを描くのがとても上手い人でした。そして私のところに来て、絵を教えてくださいというものだから、教えてあげたんです。そうしたら見よう見まねで少しずつ上達してきて、少し巧くなってくると、今度はのめ...

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2009年8月 7日 (金)

子供時代のこと(2)

私の父は、その頃すでに絵描きになっていました。霊感によって教えられた自己流です。父の性格は何事にも積極的で、威勢がいい人でした。職人気質でね。私は内向的な性格ですから、父とは違うんです。全然似ていません。父は喧嘩っ早くて、街の中で人を殴ったりね。いつも袴をはいて、白足袋で、ハンサムな人だったんです。だから当然女性にも凄くもてました。でもちょっと思慮が足りない。だから絵も浅い。十八歳くらいの時だった...

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子供時代のこと(1)

私は一九二八年に、福岡市の薬院というところで生まれました。五歳まで福岡にいて、それから台湾に移りました。一九三十年代の日本は、今よりももっと酷い不景気で、なかなか職がありませんでしたから、父はそれで台湾に行くのです。製糖会社の事務員の職です。一緒に家族を連れて向こうに行き、そして私は台北の小学校に入学します。この当時のことは今でもまだ鮮明に覚えています。 学校で私の隣に座っていたのは、現地の子供で...

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2009年8月 6日 (木)

流浪と変身の画家

今になって思えば、私は大変恵まれた文学的な面白い人生を与えられました。全く悔いはありません。加山又造さんは、私たちの仲間の中では一番の成功者ですが、実生活では苦行僧みたいにアトリエに閉じ籠もって、絵を描く以外何もしていませんでした。私はその反対で、実人生を存分に生きました。恋して、旅して、働きました。ずっと忙しくて落ち着く暇は全然なかったですけどね。今まで実にいろいろなことを体験してきましたよ。 ...

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2009年8月 3日 (月)

エロスの先にあるもの

エロスというのは、アートにおいてとても大きなテーマの一つです。聖アウグスティヌスの『告白』などを読んでいると、彼のような聖人でも若い頃は女性にものすごく執着して、性的快楽に溺れていた時代があって、そこから脱却するために大変な苦労をしているのがわかります。例え女性から遠く離れてもなお、強い肉欲の思いに取り憑かれて、なかなか晩年までそこから逃れることができませんでした。アウグスティヌスは目に見えない神...

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2009年8月 2日 (日)

アクリル絵具の有用性

私のテーマは「水が描く」ですから、絵を描く上で水と相性のいい画材がどうしても必要になります。いろいろあるうちで、ほとばしるような水とその流れが画面上でスムースにいくのはアクリル絵具です。このアクリルというのは、昔私がドイツにいた当時に発明されました。私が絵を始めた頃は、こんな便利な物はまだありませんでした。その当時は日本画は日本画、油絵は油絵というふうに、それぞれ使う画材がきっちりと分かれていまし...

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«アーティストになるということ